もっと気軽になっていいかもしれない

久しぶりにブログを書いてみる。

これまでブログというものはめちゃくちゃ長い文章、具体的に言えば数千字以上のものを書くためのものだと思っていた。千字前後であればTwitterでもどうにか読めるし、そもそもブログに上げられた長いものを読むことしかしてなかった。

でも、そんな使い方は少数派というか、かなり少ないんじゃないかと思うということに最近気づいた。

そもそも自分は、というより自分と同じくらいの世代はブログというものにあまり馴染みがない気がする。インターネットを早くから触っていなければ。

自分もインターネットに触るのが遅かったからか、別に毎日とか更新されたら決まってみているブログなんてほぼないし、たまに気でも向いたら見るのは知ってる(女性)声優のブログとか、松居一代のブログとかくらいだ。ブログがあってそれを書く人がいる、という事実は知っていても日常的に読むブログなんてないし、情報とか好きな著名人、インフルエンサー等々の日々の発信はTwitter(X)かインスタで見ている。だからブログというものは自分の中では日常的なものごとを発信するというよりかは評論とか、意見とか、まとまった記事だとか、そういうものを発信したり見たりするものだと思っていたし自分もそう使っていた。

しかし、知人友人が短いブログを書いているのを見たり、Noteなどの別サービスを見たりしているうちに、案外短い文章でもいいのではないか?と思い始めた。

こういう固定概念というか、思い込みを壊せないままそのまま生きているみたいなことが多々あるので、思い込みみたいなものがなくなればいいな~と思ったりするけれどもそれはまた別の話。

だからというわけではないが、文章を書く練習かつ、Twitterではいくつものツイートでツリーにしなければいけないようなこういう微妙な長さの文章をこうやってブログに放出しようと考えた。

Twitterは瞬発的というか、思いつきを文字通り”呟く”のに適しているが、(もうTwitterではないというツッコミはおいておいて)ブログだともう少し推敲というか文章らしい文章を書かなければ、という気負いみたいなものが発生し、今こうやって書いてる間にもめんどいし書くのやめようかな~みたいな思いが頭をよぎり都度都度書くのを中断して別のことをやってしまっている。こういうところもブログが少し苦手な理由だ。短文であれば勢いだけで呟けるが、少し長くなると思考を整理しなければならない。その間に熱が冷め、思考を放棄というか、どうでもいいや、となってしまう。

少し長めの文章を書くのにも一苦労、というか重い腰を上げないといけないわけだが、まあまずはこうやって以前よりかは気軽に文章を書けるようになったことはいいことではあるのだろう。考えすぎて行動ができなくなるということが多い自分にとってはもうちょい気軽になっていいんじゃないか、と。この記事くらいには。

まあそれは自意識というか自分の性格上どうしようもないことかもしれないけど、できる限り努力してみようかな~と思ってのこういう記事ではある。

続く気はしないが頑張って続けたい。

今日はここまで。

Y2Kファッションと平成レトロ -ムーブメントとしての平成とゼロ年代-

この記事はゼロ年代研究会アドベントカレンダー16日目の記事です。

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皆さんは最近、Y2Kという単語を聞いたことがあるだろうか。

このY2Kというのは、「Y2Kファッション」と呼ばれるファッションスタイルのことであるようだ。特に最近流行している、所謂トレンドファッションということらしいが、個人的にはあまり聞きなれない言葉である。

そもそもY2Kという(少なくとも筆者にとっては)聞きなれない言葉はなんなのであろうか。

このY2Kとは、「2000年問題」*1と呼ばれるものと同じ、Year 2K(この場合のKは単位である㌔と同じ1000を表す文字)の略称であるようだ。Year 2K、つまりは2000年前後のことであり、読んで字のごとく2000年前後のファッションを身にまとうことが近年のムーブメントとなっている、ということのようだ。

このブームで特徴的な点として、日本国内から起こったムーブメントではない、ということが重要である。

いくつかのネット記事によって海外からの流行の導入であることが述べられている。*2

SNSやメディアが多いこの時代において、ブームの原因や起点というものを特定するということは難しいが、国内で何かきっかけがあってブームが起きたというより、世界的に20年ほど前のファッションに対するリバイバルが来ているようだ。

ファッション自体のリバイバルが20年周期で来る、ということはよく知られたことではあるが、それが一地域や1年程度のブームでは終わらず、世界的に流行している、というのはK-POPや海外での流行だけでは説明できないような話であると考えられる。

筆者自身がファッションに疎いこともあって、現在の日本、そして世界でY2Kファッションが未だに流行しているかどうか、ということは判断できないが、少なくともここ最近のムーブメントであり、たとえブームが終わっていたとしてもまだ残滓はあることは否定できない。このような現象についてもゼロ年代当時との比較などが出来そうであると感じる。

また、似たようなムーブメントとして、平成レトロ(平成のものをレトロなものとして注目する趣向)も挙げられる。

最近ではゲーム「NEEDY GIRL OVERDOSE」におけるOPテーマやゲームそのものにもレトロ感があるという指摘や本人へのインタビューからレトロに関する発言や*3、2022年上半期の女子中高生のトレンドに関する民間の調査では「平成レトロ」がトレンドワード1位になったりと、*4平成レトロの存在や平成に関するものにノスタルジー、もしくは新しさを感じるようなムーブメントが起きているのである。

上記参考記事ではY2kと平成レトロは同じような取り扱い方をされているが、平成レトロブームとY2Kブームは、同根であるかと問われれば微妙であると感じる。

リバイバルされ新しくなったファッションの流行と、平成そのものに対してレトロ感を感じるというということは似ているが異なるものであると個人的には感じるため、本稿では別々に取り上げたが、ほぼ同じといってもいいのではないか。

繰り返すが平成、そしてゼロ年代という時代自体がZ世代の若者にとって経験していない新しいもの、もしくは存在しないノスタルジーを持つものになった現在だからこそ、Y2Kも平成レトロも、比較的近い過去への憧れ等によってムーブメントとしての流行が起きていると見ていいだろう。

なぜ平成なのか、なぜゼロ年代なのか、ということを探ると同時にそういったものが流行るという現象も現代から見たゼロ年代という時代の評価や価値に関する一考察として面白い対象となるのではないだろうか。

更にはこのY2Kのトレンドに乗って、リバイバルされたY2Kではなく、2000年前後当時のファッションについて調べてみるのも面白いかもしれない。

 

参考、引用サイト

なぜ「2000年代」が若者のトレンド? Y2Kとギャルの深い関係

Y2Kファッション考察|Z世代のレトロブームとトレンド近況 | トレンド|ノベルティ・オリジナルグッズの紹介やトレンド情報を発信中|株式会社トランス(東京・大阪)

いまさら聞けない! “Y2K”ってなに? | otona MUSE

にゃるら氏に聞く,「NEEDY GIRL OVERDOSE」に込めたディープな想い。幸せな結末は存在しなくても,あなたの思う幸せはあるかもしれない

平成ってもうレトロなの? | NHK

(全て最終閲覧日は2022年12月17日)

 

*1:1999年から2000年に変わるとコンピュータが誤作動する可能性があるとされた問題のこと

*2:Y2Kファッション考察|Z世代のレトロブームとトレンド近況 | トレンド|ノベルティ・オリジナルグッズの紹介やトレンド情報を発信中|株式会社トランス(東京・大阪)、には「韓国・中国から入ってくるトレンドも混ざっています。」とあり、具体例としてK-POPガールズグループのBLACKPINKやaespaのミュージックビデオを挙げている。また、なぜ「2000年代」が若者のトレンド? Y2Kとギャルの深い関係このサイトでは「日本での流行は、K-POPでの流行の流れを汲んでいます。そのため、今年に入ってからのトレンドですが、そもそも、Y2K自体は、2021年のはじめから欧米で流行が始まっています。」というように、どちらかといえば日本国内でのトレンドではなく、海外、特に韓国など志向の近年の流行の影響であることが述べられている。

*3:にゃるら氏に聞く,「NEEDY GIRL OVERDOSE」に込めたディープな想い。幸せな結末は存在しなくても,あなたの思う幸せはあるかもしれない

*4:平成ってもうレトロなの? | NHK

(長い)ゼロ年代における仮面ライダーとウルトラマンについて

本記事は、ゼロ年代研究会アドベントカレンダー13日目の記事です。

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今回は主に、平成仮面ライダー(1期)や平成ウルトラマン(詳しく述べればTDG三部作以降)と呼ばれる世代に関しての記事である。後述するが平成以前の仮面ライダーウルトラマン作品とはまた異なった特徴が挙げられるため、それについて記述したい。

 

まずはそもそも平成仮面ライダー、平成ウルトラマンとはどういうものか、ということについて説明する。

 

平成仮面ライダーとは、2000年の『仮面ライダークウガ』以降の仮面ライダーの名を冠する作品群の総称、もしくは各作品に登場するライダーの総称である。(参考:平成仮面ライダー|仮面ライダージオウ|テレビ朝日*1

その中でも特に10作品目の『仮面ライダーディケイド』(2009)までが平成一期、それ以降(『仮面ライダーW』(2009~2010)以降)が平成二期とファンの間で呼称されている。

 

対する平成ウルトラマンは、1996年の『ウルトラマンティガ』から始まるTDG三部作(『ウルトラマンティガ』、『ウルトラマンダイナ』、『ウルトラマンガイア』)以降の作品に対するファン間の呼称である。正式な呼称ではないため、どこからどこまでを平成ウルトラマンと区分するかということが仮面ライダーと違い曖昧である。なお本稿では上記のようにTDG以降を平成ウルトラマンと呼ぶ。

 

両コンテンツとも長いゼロ年代*2に復活、とは言えないが再開したコンテンツであるが、それ以上に両者には特徴が挙げられる。

 

両者に共通する特徴として、昭和の両作品との断絶が挙げられる。仮面ライダーTVシリーズのみで考えれば『仮面ライダーBLACK RX』(1988)以来の作品であり、ウルトラマンも『ウルトラマンG』(1990)や『ウルトラマンパワード』(1993)などの海外展開作品を除けば『ウルトラマン80』(1980)以来のTV放映作品である。両コンテンツとも昭和から平成にかけて連続して続いてきたわけではなく、断絶があるというのは大きな特徴であるといえる。

 

断絶以上に大きな特徴として、作品からの政治性や時事風刺といったものの

昭和ウルトラマンの代表的な作品やエピソードを挙げるならば、『ウルトラマン』(1966)であれば東京湾の汚水によって変異した海獣ゲスラ、続く『ウルトラセブン』(1967)ではエピソード内での際限のない兵器開発競争を悲嘆し、現実の政治や社会情勢を皮肉った「それは、血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ.....」というあまりにも有名な台詞、『帰ってきたウルトラマン』(1968)での夢の島のプラスチックごみを題材にした怪獣ゴキネズラ、『ウルトラマン80』(1980)での暴走族に大きな怪我を負わされた少年の怨念がウルトラセブンに乗り移った妄想ウルトラセブン(にせウルトラセブン)など多くの作品が政治や社会風刺、問題提起的な怪獣の登場やエピソードを入れていた。

しかし平成ウルトラマンシリーズにおいてこのようなエピソードがない、と断言することはできないが昭和ウルトラマンに共通していたものが失われたというのは確かであろう、その証左に40周年記念作品である『ウルトラマンメビウス』(2006)においても、あくまでゲスト出演という形で『ウルトラマン』から『ウルトラマン80』までの各ウルトラマンやキャストがゲスト出演したが、怪獣であったり作品内容そのものにもオマージュはあれど、昭和ウルトラマンのようなメッセージがあったとは言えないためだ。

 

一方の仮面ライダーにも変化があった。すぐ挙げられる大きな変化といえばショッカーのような悪の組織といったもの自体が消滅したことだが、それ以上に平成仮面ライダーの初期ではそのストーリーの暗さが目立つ。最初の作品である『仮面ライダークウガ』(2000)ではヒーローとは何か、というようなテーマや怪人の出現に対する社会情勢の変化の描写や宇野常寛にも取り上げられたバトルロワイアル方式で仮面ライダーが戦いあう『仮面ライダー龍騎』(2002)など、リアルさと暗さを両面に押し出す作風で始まった。

代を重ねるにつれてその後の作品では暗さというものが前面に押し出されることは少なくなったが、根底にシリアスなテーマや重いエピソードを挟むような作風は現在まで続いており、単純な勧善懲悪が多かった昭和ライダーとはまた異なった趣向、作風となっている。

 

両作品とも昭和から平成に代わり、ゼロ年代に新たに始まったシリーズ、作品でこのような変化がみられるというのは特徴的な出来事であるといえよう。

無論これらの政治性の排除や作風の変化の要因というのは単なる時代の変化のみではなく、多くの要因が関わっていることは想像に難くない。このように特撮作品の変遷のみでもゼロ年代という時代について考える端緒となるのではないか、と考え、この記事を書いた次第である。

 

なお最後に、筆者自身もすべての仮面ライダー作品、ウルトラマン作品を視聴、網羅していないため、穴のある記事になっていることは自覚している、何かあればTwitterのDM等までご指摘いただきたい。

*1:なお、参考先は2019年当時の情報であり、現在はそれ以降の仮面ライダーも平成仮面ライダーと称される。

*2:長いゼロ年代とは、ゼロ年代研究会において1995~2011の間を指す用語であり、従来のゼロ年代よりも作品や社会情勢を反映した上での区分である

なぜゼロ年代に惹かれるのか

ゼロ年代研究会アドベントカレンダー6日目の記事です。

 

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今回のアドベントカレンダー企画では、何故ゼロ年代に興味を持っているのか、というごく個人的な話をしたい。早い話が自分語り、というやつである。

なぜゼロ年代が重要なのであるか、という研究に関する話はゼロ年代研究会会誌である『リフレイン』にまとめたので、そちらをお読みいただきたい。

 

簡単に言えばゼロ年代と呼ばれる時代の終わりから10年以上が経ち、同時代的な観点からだけでなく、歴史として、過去の文化としてゼロ年代を捉えて総括してもいいのではないか、ということを「オタク」というものを例に先行研究を交えながら述べたものである。

 

では本題に入ろう。

私は2002年(2月)の生まれである。なのでいわゆるゼロ年代、とくくられる時期の記憶もほとんどないか断片的なものしかない。

ざっと思いつく生まれた2002~2010年の私的でないようなゼロ年代っぽい(?)記憶といえば、千葉ロッテマリーンズの05、10年シーズンと二度の日本一(自分が千葉出身で当時父親が野球をよく見ていたためであろう。)、ウルトラマンメビウス仮面ライダー電王が面白かったという記憶、あとはたぶんリーマンショックだったであろうが、テレビやラジオで不景気だというような暗いニュースが流れていたくらいしか思い出せない。

 

間違いなく生きてるはずなのだが記憶があまりない、幼少期の記憶など大抵の人はそういうものであると思うが、私とゼロ年代というのはそういう距離感なのである。

 

そんな自分にとって近くて遠い時代、というのはいつしか興味関心の対象となっていた、今自分が生きてる現在よりちょっと昔に何があったのか、どんなものが流行っていたのか、そういう知識的なことはもちろん、純粋に現在生み出される新たな作品を鑑賞すると同時に、昔の作品を見たいという思いも同時に持っている。

そういう思考になったのは自分が中学生くらいまであまりインターネットやアニメに触れず、かといってずっとテレビやYouTubeを見ていたかというとそうでもない生活を送っていたため、同世代に比べてアニメやマンガ、動画やテレビなどを見たり読んだりしてこなかった、情報を得てこなかったことに負い目ではないが劣等感のようなものを感じており、そういうことも何かしらの原因として挙げられるかもしれない。

深夜放送のアニメを見始めたのも2016年春クールからであるし、携帯(スマホ)を持ったのも中学卒業後(2017年)である、ましてやファッションや芸能に関する話題に対してアンテナを張っていることもしていなかったため、(今もしていないが)自分がもしインターネットに接続できる環境があったかもしれない2010年代前半のインターネットについても、当然それ以前のことについてもよく知らないのである。

よく知らないから知りたい。今につながる何かが過去にあるはずだからそれを解き明かしたい、という興味関心、好奇心が自分にとってのゼロ年代に興味を惹かれる原動力なのかもしれない。

それと同時に自分がアニメ作品であったり、ギャルゲやエロゲなどと呼ばれるシナリオゲームが好きであるため、そのような作品や作品を対象とした批評が盛り上がったゼロ年代に興味がある、ということもひとつの惹かれる原因であると思っている。

 

最後にゼロ年代とは関係ない話にはなるが、最近ではゼロ年代だけでなくそれ以前やそれ以降の時代についても興味がある。方向性として、戦後文化、特に70、80年代以降の文化についてやメディア史的な方向であろうか、そういう方向にも興味が向いている。ゼロ年代を掘っていたらいつの間にかもっと前までさかのぼりたくなってしまった、そう言ってもいいのかもしれない。

もともと歴史や文化といったものが好きであったのでこういう流れというか行きつく先がここになるのはなんとなくわかっていたような気がするが、自身の興味関心を深堀りしていった先にまた新たな興味関心がわくようなものが出てくるというのはとても喜ばしいことなのかもしれない。

ガッツリネタバレ シン・ウルトラマンの簡単な元ネタ解説と個人的な感想

はじめに

どうも、みやまです。

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特撮を若干たしなんでいた人間として、シン・ウルトラマンを見て、特撮の知識とか全然ない、どこがおもろいのかわからん!という人向けにこういうところが面白かった!!という話と感想をふせったーにでも流そうかなと思いましたが分量も多いしブログ記事にしたほうがわかりやすいなと思ったのでブログにします、人がどのくらい特撮に関する知識があるかわからないのでとりあえず個人的に面白かったところとか、オマージュがわかったところとかを解説して最後に感想を書きました。

 

 

 

個人的に面白いな!!とかここってこれのオマージュでしょ!と思ったところの解説

 

まんま『ウルトラマン』のタイトルのオマージュ、『ウルトラマン』(以下原作)では『ウルトラQ』のタイトルが出た後に「ウルトラマン」の字が出る

 

  • 最初の方の「巨大生物出現!」からのアバンっぽいところ

出てくる怪獣(禍威獣)が『ウルトラQ』作品の怪獣なので完全にウルトラQオマージュ、人間だけで頑張る所もウルトラQ、上手く禍特対設立に持っていったと思う。原作の科特隊(科学特捜隊)は世界的な組織で本部はパリにある設定なので、そこが相違点

 

ウルトラ作品のテンプレ、ウルトラマンと融合するか、やってきたウルトラマンが人間に擬態するかのどちらかが多い。本作では子供を守って死んだ神永の自己犠牲精神と申し訳なさで融合した、という話になってるが、原作だと飛来したウルトラマンと主人公であるハヤタが乗る飛行機が衝突してなんかごめん!融合して命は助かるようにするわ!みたいな流れだった記憶がある。(かなり適当)自己犠牲の精神に感動して、みたいな文脈は『ウルトラセブン』っぽさは感じた。

 

  • 出てくる外星人のチョイス

ザラブとメフィラスってウルトラマンシリーズの中でも割と何回も出てきてる胡散臭さランキング上位の星人なんですよ、ちなみにザラブがにせウルトラマンになる話は原作でもあるし、映画版メビウスでもにせメビウスになったり割と出てくる時点でなにやるか予想はつく奴なんすよね、メフィラスも同様に嫌な奴で武闘派じゃないんだけども地球征服を狙ってくるやつです。

 

メフィラス星人がやったやつ、原作でもメフィラス星人がヒロインのフジアキコを巨大化させます、なんか他のシリーズでも別の悪役がヒロインを巨大化させるみたいなのがあった気がする。

 

 

基本的にスペシウム光線しか有名じゃないけど、割と八つ裂き光輪(なんか投げてた気円斬みたいなやつ)惜しみなく使ってたところはいいなと思った、オタクは八つ裂き光輪好きなので

あとスペシウム光線のエフェクトが原作っぽさを出したエフェクトになってたのもよかった。

 

これは知ってるかもしれないけどゾーフィはウルトラマンゾフィーと原作のラスボス、ゼットン

原作の最終決戦は(別に自立兵器ではない)ゼットンが飛来して、ウルトラマンが迎撃するけどカラータイマー割られて仮死状態になって、最終的に科特隊で作った新兵器でゼットンを倒すという話の内容で、結構科学信仰的な面がある。ゾフィーは仮死状態になったウルトラマンを救うために飛来してハヤタとウルトラマンに命を分け与えてハヤタとウルトラマンを分離させ、マンを光の惑星に連れて帰った。原作ではゾフィーは別に人間を滅ぼそうとしてないし、むしろ人間を見守ろう、みたいなこと言ってた気がするし、特に地球人に過剰に接触した罰とかはなかった気がする。ちなみにゼットン一兆度の火球とか、八つ裂き光輪をはじくのは原作準拠。

 

  • ゾーフィの「人間は我々と同じような生命体になるかもしれない」みたいな発言

ウルトラマンシリーズの設定として、もともとM78星雲(ウルトラマンの故郷)は人間と同じような生命体で高度に発達した科学技術を持った星であったが、ある時自前の人口太陽が暴走して、突然変異的にウルトラマン(光の戦士)になった、という設定がある、本作の言及ではベータシステムと科学技術の発展で数万年語には我々のようになる、という趣旨の発言だろうが、この設定を知ってるとニヤリとしてしまうポイント

 

気づいた小ネタ

 

  • 小物とかデザイン

禍特対のバッジとかベータカプセルとか、怪獣のデザインとか、元ネタがわかる人にはわかるように配置されているところがオタクっぽいというかマニア向けというか、そういう細かいところまでこだわっているんだなって思った。

 

 

  • 滝の机の上のプラモとか

ちゃんと見てなかったけどサンダーバードっぽいのは視認できた、あとはたぶん東宝怪獣映画の兵器とかだと思う、知らんけど

 

  • 禍特対の電話の着信音

どのシリーズのかはわからないけど、ウルトラシリーズ地球防衛軍的な立ち位置の組織の電話とか無線の着信音と同じ。

 

  • BGM

一部、ウルトラシリーズBGMとかを使っていた。禍特対の出動命令の際に、原作の出撃シークエンスのBGMが使われていた気がする。

 

 

雑多な感想

まんま『ウルトラマン』だなと感じた。特に最後の方は台詞も原作と同じだったり似たようなものが多く、人類に対する希望と可能性を提示した原作とその展開を踏襲して上手く二時間半にエッセンスとメッセージをまとめた映画だと思う。やはり庵野秀明、映像作品作りが上手い。

最後のゼットン戦はシンゴジみたいに人類の力によって倒すのか、原作通り科学の力で倒すのかと思いきや割とウルトラマン頼みで(無論人類も貢献はしたが)、共生や共存といった意識やテーマが根底にあるのではないかと感じた。また、原作と違って「光の国の使者」であるゾーフィ(ゾフィー)が人間を抹殺すべき対象として認識している、というのも面白かった、ザラブやメフィラスなどがまどマギのキュゥべぇじみたことを言うのは分からなくないが、それをゾーフィが言うというところに無条件で人間と進歩を讃美していた原作放送当時の世相との違いがあるのではないかなどと考えていた。最終的にウルトラマンの心意気に打たれて人類を滅ぼすのを思いとどまる展開が、少し昔の作品のテンプレのようで、少し古臭いと感じると同時にまだこのように人類の可能性と未来を称揚していいんだな、まだまだ人間の可能性を信じてみてもいいんだな、と感じた。庵野作品はそういった人間の可能性を喚起させるのが上手いというかそういうメッセージ性が強調されるような作家だなと感じた。

やはり「ウルトラマン」であるためウルトラマンという存在を通しての人類や人間についての物語であり、シンゴジラ的な困難に立ち向かう人々を描きつつもやはりデウスエクスマキナ的存在であるウルトラマンに頼ってしまうのがより人間的で好感が持てた。

同監督作品のシンゴジラはある意味戯画的というか、頼るべきものがないからこその強さと火事場の馬鹿力を描いた作品だと思っている。だからこそ見ていて面白いし一人一人のキャラが泥臭く足掻く姿が共感を呼び人気なのだろう、対するシンウルトラマンウルトラマンが主人公であり、困難や怪獣に打ち勝つ物語ではなく、人間とは何か、正義とは何か、強大な力を持つものとしての責務は何か、というような話がメインであり、抽象的なヒーローの話であるため、そこまで面白くなかったのかな、と感じた。

小ネタ等々恐らく見落としている部分が多すぎると思うしたぶん見ていてもわからないネタや物が多すぎると思うので、改めて識者の解説を聞きながらみたいなとは思った。こういう細かいところまでこだわる庵野の特撮愛と映像作品へのこだわりを感じた。

映像としては、メフィラスと神永の対話シーンや日常風景を映すシーン、カットがアオリの多用やカットの短さなどかなりラブ&ポップのカットやレイアウトに似ている感じがした、そのほかのシーンでも、登場人物視点でのカメラワークなのだと推測されるが、顔の正面から撮った映像が印象的であった。恐らくシンゴジラなどでは見られなかった画角であり、アニメ的というかどこか実写映画的ではないような気分になった。

総じてけなすほど面白くないわけではないが、手放しで称賛するほど面白い作品でもない、という感想である。庵野的視点からオマージュを多用したウルトラマン庵野ウルトラマン。それ以上でもそれ以下でもない作品だった。

「オタク」と名乗れないオタクの話

「オタク」(とされるような趣味を持つ人々の一部)がオタクと名乗らない現象について、書いてみたい。

 

本稿では括弧付きの「オタク」を世間一般で広く使われる、オタクと自称し好きなものに対してポジティブで、好きなものは好きと言い、推しや好きな作品に対して愛を振りまくような人々や概念(①の用法)として使う。平たくいえば「私はオタクです!」と自己紹介で屈託なく言えるタイプの人間のことだ。対する括弧なしのオタクは、自分がオタクと名のれず、自虐としてやカテゴライズ上やむなくオタクを名乗っているオタクのことを指す。(③の用法)平たくいえばTwitterでキモ=オタク、や異常独身男性、陰キャ等々自称し自虐している人々のことだと思ってもらえれば良い。

 

 

皆さんは「オタク」と聞いた時どのような人々を思い浮かべるだろうか。今現在「オタク」という語の用法は主として3つあると考えている。

 

①「オタク」と自称する用法  (例)「俺(私)、オタクなんですよね〜w」「オタク趣味が好きです!!」

②「オタク」と他称する用法  (例)「あいつめっちゃオタク

じゃん、」「オタクだな〜」

③「オタク」と自虐、便宜上使用する用法  (例)「キモ=オタクなので買った」「オタクなので風呂入れなかった。」

 

①と③の違いがわからない方もいると思う、正直提示した僕もあまり厳密に提示したわけではない上に例も適当でないかもしれないためよくわかっていない。ただ①は自分が「オタク」であり、それを良いもの、誇らしいものとして提示したり、プラスのアイデンティティとして表現されるケースである。

対する③は、Twitter上でよく見られるような表現であり、カテゴライズ上アニメファンと自称するのも性に合わないし、とりあえず一番近い「オタク」と名乗っておくか、というようなオタクに対してマイナスであったり、自身をオタクと見做していないが便宜上オタクとしか名乗れないためオタクと名乗り、表現している、というケースである。

僕は③のケースでの用法が多く、「オタク」という言葉を①のように自称する行為に対して抵抗感がある。

 

 

なぜ僕を含めた一部の人々は「オタク」という語に対しネガティブなイメージを持ちながら使用したり、ポジティブな文脈で自称できないのだろうか。まず一つ目の推測としてそこには何らかの経験があると考えられる。

自分語りで恐縮だが、僕の経験から見てみたいと思う。

時は中学2年生(2015年)。当時は厨二病真っ只中、当時仲の良かった友人から勧められたアニメを家で録画し見ることにした。それが「スマイルプリキュア!」である。これが初めて見たオタク的なアニメであり、のちに「ラブライブ!」(再放送)から深夜アニメを見始めるわけである。当時プリキュアを見るのはあまり恥ずかしくなかったが、ラブライブの1話を見る時に、死ぬほど恥ずかしかったのを覚えている。正直今の自分からすればリビングでラブライブを見るよりもプリキュアを見た方がどう考えても明らかにやばいし恥ずかしいことだと思うが当時の僕はそんなことは全く考えず、本気でラブライブ!をはじめとする深夜アニメを見たり好きになったりすることを「恥ずかしいこと」だと思っていたのである。

当時の中学校やクラス自体にオタクを忌避する雰囲気があったかは定かではないが(たぶんなかった)自分の中でそういった「オタクっぽいもの」への憧れと反発が同時にあったこと、当時好きだった子にオタクっぽい〜みたいなことを言われてちょっと嫌だったことは覚えている。

ちなみに両親はラブライブ!はおろかリビングでニチアサをリアタイしてもアイカツを見ながら泣いても何もいわない親である。親からしてみれば息子がニチアサなり女児アニメを見ているというのは頭を抱える事案であろうに、何もいわず見守ってくれた両親には感謝のしようもない。たいへん有難いことである。以上余談。

まあその後順調にアニメを摂取し続け成長していくわけだが、その根底には「オタクは恥ずかしいもの」というような価値観があったように思う。

無論このような単に「恥ずかしいもの」であるというような価値観の内面化以外にも、オタクであることをからかわれた、いじめられた、何らかの経験をした等の経験が尾を引いていることは十分に考えられる。

反対に「オタク」とポジティブに名乗る人々は恐らくこのような経験をしていない、もしくは乗り越えたことにあるのではないだろうか。このような経験や体験がある人間が少数であり、ほとんどが体験してないからこそなんらかのきっかけでアニメ作品やアイドルを好きになり、ポジティブな意図や用法で自らのキャラや属性を、「オタク」と称しアイデンティティとする用法が多数派を占め、オタクや推し活などという言葉が人口に膾炙し騒がれる時代になったのであろう。反対に、私は「オタク」なんだ!とアイデンティティとして確立できなかった人が、自意識等を拗らせたり、トラウマで、「オタク」と名乗れないオタクたちは自嘲や自虐として憧れの「オタク」を名乗り、はたまた自分を無理くりカテゴライズするためにやむなく自己紹介で「オタク」と僭称するのではないだろうか。

 

二つ目の推測として、自身がオタクと呼べるレベルに達していない、と常に考えていることがあるように思う。「オタクと呼べるレベル」というと少し面白いが、要するに知識や鑑賞量が少ないのに、オタクと自称出来ない、という話である、この比べる他者は身近な友人でも、インターネット上の見知らぬ誰かでもいい。オタクになる、ということに価値を見出しているが、他者や空想の他者との比較を意識か無意識のなかで行い、自分はまだまだだ、だからオタクとは名乗れない、というような思考回路があるのかもしれない。

実際に、僕がラブライブを見る原因となった友人との比較、更にはインターネットの見知らぬ、アニメをめちゃくちゃ見ている人との比較を通し、上には上がいる、というような他者との比較をしてきた。

一方で「オタク」と名乗れるオタクには、他者との優劣というような思考はないのではないか、と考えられる。そこにはオタクになりたいというような思いはなく、「オタク」であるというアイデンティティが確立されており、推しへの愛や純粋に「オタク」であること、「オタク」として生きることがあり、

トラウマや何らかの経験があるという劣等感や、他のオタクという存在。更には自分というアイデンティティの確立がなされず、自意識をこじらせ、「オタクと呼べるレべル」のような意味のないものに固執し求め続けるのではないかと考えられる。

 

以上、自身の経験等から「オタク」と名乗れないオタクに対する考察を進めてきた。

最後に、「オタク」と名乗れる人々に対して、「オタク」と名乗れない人々はどう思っているのだろうか、

そこには屈託なく「オタク」を名乗れる羨望と「オタク」を自称するな、という怒りがないまぜになっているのではないだろうか、少なくとも僕はそうだ。

改めて、「オタク」とは、そして「おたく」とは、何なのだろうか

そして、オタクが「オタク」と名乗れる日は来るのだろうか

 

市川雛菜の幻覚を見て市川雛菜という概念を理解した話。


本稿は題の通り、アイドルマスターシャイニーカラーズ(シャニマス)のキャラクター、市川雛菜の幻覚を記憶の中のとある同級生に見出して市川雛菜という概念を理解したオタクの話である。

 

 

市川雛菜とは?

市川雛菜はシャニマスのノクチルというユニット所属のアイドルである。このノクチルというユニットは幼馴染4人で構成されているアイマスでも珍しいユニットである。その中で一応最年少である。公式プロフィールでは

自分の「しあわせ」に向かって突き進む、奔放な女の子。

幼馴染みで先輩の透を慕っている。高校1年生。

 

 

とある。

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市川 雛菜 (いちかわ ひなな) | アイドルマスター シャイニーカラーズ(シャニマス)

このノクチルというユニットはそれぞれのキャラクターが今までのアイマスシリーズのアイドルとはまた違った趣のキャラクターであり、雛菜もその例に漏れずクセが強いキャラである。どのように違うのか興味がある方は是非プレイしていただきたい。

雛菜はプロフィールにもあるように、”自分の「しあわせ」に向かって突き進”んでいるアイドルだ。象徴的な話として、雛菜以外のノクチルのメンバー3人がレッスン後に自主練をする中、雛菜ひとりだけが自主練をせず事務所でプロデューサーを待ち、プロデューサーと話をするコミュ(エピソード)がある。*1その次のコミュでプロデューサーに何故残って自主練をしなかったのか尋ねられると、「でも、みんなはそうしてほしいかな? 雛菜、透先輩でも円香先輩でも小糸ちゃんでも無いし知らないけど~~ 決まったレッスン時間はちゃんとやってるよ? みんなと仲良しだよ~? 楽しくなくても無理して頑張ってやりなさい~ってこと~? 辛くて大変じゃないと、頑張ったことにはならないの~?」と答えた。*2

僕にはこの雛菜の応答が理解出来なかった。多少我慢してでも周囲に合わせた方が無駄な軋轢を生まずに無難に過ごせると思って生きてきたため、このような輪を乱す発言(とプレイ当時は感じていた)はとても自己中心的に見えた。雛菜のこの考え方に初プロデュース時からどこか不気味さと不思議さを感じ、そして既視感を抱いていた。それが同級生の女子(以下彼女と表記)に抱いていた感情とも知らずに。

 

雛菜に似た同級生の女子の話

 

雛菜に似ている彼女の話をしよう。彼女は所謂陽キャであり、まあスクールカーストの上位の存在だった。校則違反のネイルや化粧もたまにしてくるような性格であり、当然違反で担任にキレられたりもしていた。どこかのグループに居たわけでもなく、他クラスの同じような女子とつるんでいた。だからといってクラスで孤立していたわけでもなく、社交的であった。たぶんイマドキのギャルである。2年間同じクラスであったことや、出席番号が近かったり近くの席になることが多かった影響もあると思うがクラスメイトの中では割と僕と話した人の部類に入ると思う。当時放送されていた鬼滅の話もした記憶がある。カテゴライズするならば、オタクにやさしい陽キャ、多分に主観が入るが、オタクくんにやさしいギャルである。そう、オタクにやさしいギャルは存在するのである。

当然オタクくんはギャルの心がわからぬ、彼女に対して何か得体の知れない恐怖感と若干の嫌悪感を感じていた。

彼女は自己中心的というほどではないが自分のしたいことを優先し好きなように生きていた。ネイルや化粧をしての登校や遅刻もそうだが特に勉学に励むわけでもなく、文化祭や体育祭に積極的に関わるわけでもなく、ほぼ最低限くらい関わって自分のやりたいようにやっていた。打ち上げとかにもいた記憶も様子もない。(当然打ち上げには僕もいない、なぜ知ってるかというと数年ぶりにクラスLINEのアルバムを確認したからだ。無論この記事のためである。)たぶん学外で何かやっていたのだろう。知らんけど。当時はカーストが上でクラスに友達もいるのになぜ周りと協調しないのか、不思議だな~とか教室の隅で思っていたと思う。陰キャオタクのお前が言うな。

そんな中、彼女に市川雛菜の幻覚を見る決定的な出来事が起きる。当時はそんなこと思ってもなく、ただ衝撃的な出来事だと思っていただけだったが。

 

(幻覚を後に見出す)エピソード

 

高3の秋口だったと思う。授業中なのか、授業前なのか、それすらも定かではない時間に確か英単語だか英熟語の単語帳を眺めながら授業を聞き流す体制に入っていた。僕も彼女も英語の成績が悪く、補修的なものに駆り出されていた。そのこともあってか受験や志望校の話になって第一志望厳しいわーみたいな話をしていたはずだ。

「大学なんていっぱいあるよ、どこでもいいじゃん」

確かな文言は覚えてないが、そういう趣旨のことを確かに言った。大学受験全否定である。それを聞いて確か僕は少し気が楽になると同時に拍子抜けしてしまった。そんくらいのメンタルで生きたいと思う反面、じゃあなんでこんな苦行(実際僕にとっては受験勉強は苦行でしかなかった。)をしているのか、と思ったのだ。そして彼女の将来の心配だ。お節介極まりないが、そんな考えで将来やっていけるのか、と思ったのを覚えている。その後なにを言ったのか確かなことは覚えてないが、確か相槌を打って終わったのだと思う。学歴がなくてこの先どうやって生きてくんだ、という思いがあったがそんなことを問いただす勇気もないわけで、そのまま適当に流した気がする。その時彼女には(僕が高3生時に特有の受験への焦りと学歴至上主義の影響もあったと思うが)少しの嫌悪感と理解不能な気味悪さを感じた。

そのような断片的な記憶しかないが、ただ、空いている窓から吹いてくる風を受けながら授業を受けていた記憶と、大学なんていっぱいあるよ、どこでもいいじゃん、と心底受験なんてどうでもいいというような言葉が耳にこびりついて未だに離れないでいる。

その後、彼女に恋心を抱くことも、親密になるようなイベントもなく時は過ぎ僕も彼女も卒業した。僕は大学生になった。彼女の進路は覚えていない、というより聞いていない、と言う方が正しいだろう。丁度コロナ禍で卒業式前後がぐちゃぐちゃになって結局聞かれず終いだったのもあるが、元来そこまで親しいわけではなかったのだ。彼女は陽キャであり僕は3年間ぼっち飯をキメていた陰キャ、である。2年間クラスが同じだったわけだがそれ以上でもそれ以下でもない。

そんな高校時代のエピソードである。この話が後々幻覚を生むことになる。

 

市川雛菜=彼女、という等式と概念の理解

 

 

彼女と市川雛菜に対して同じ感情を抱いていたのに気づいたのはつい最近だ。無論、当時(2019年の秋頃?)は市川雛菜なんてキャラクターはこの世に存在しなかったわけで、その後の気づきが起きるまで上記のエピソードなんて記憶の片隅に追いやられていた。

市川雛菜をプロデュースした当初同じような感情を覚えた時も、このエピソードを思い出すことはなかった。しかし気づきは唐突にやってくる。

ある日、雛菜に対する若干の嫌悪感と恐怖感、理解不能であるという感情が、彼女に対して抱いていた感情と全く同じだということに気づいてしまった。切っ掛けは特にない。雛菜について考えていた時にふっと上記のエピソードを思い出し、なんか雛菜っぽいな、彼女、と思っただけなのだ。ひょっとして雛菜は彼女のように自分のしたいことをしているだけではないのか?と仮定してみた。すると雛菜が身近に感じられるとともに彼女と雛菜の共通点がどんどん浮かび上がってくる。無論相違点もある。しかし彼女と雛菜というキャラクターを比較することで自身の実体験から、市川雛菜というキャラを理解し始めたのである。

雛菜は、本当に文字通り、”自分の「しあわせ」に向かって突き進”んでいるのだ。雛菜にとっては「しあわせ」かどうかこそが重要であり、それ以外は重要でないのだ。彼女が彼女自身がやりたいことをやる、ということを重要視して生きているように。初めてプロデュースしたときには雛菜の「しあわせ」が理解できなかった。それが雛菜なりの、彼女なりの、行動を定める重要な要素なのであるということが。

思い返せば、常に彼女は自分がしたいように生きていたと思う。僕は彼女を深く知らない。彼女がどういう風に生きようと思っているかも、なにを基準にしているのかも。だが確かなのは市川雛菜も彼女も、自身の信念、哲学に基づいて生きていたのだ。信念や哲学というと大袈裟かもしれない。意志、くらいのものかもしれない。雛菜は自分が「しあわせ」であるかどうか、という価値判断に基づき、そして彼女は彼女の意志に基づいて、人に流されず、自身で決断していたのだ。

何も考えていないわけではない。刹那主義でもない。雛菜は、そして彼女は、自身の意志を最も尊重し、そこに基づいた判断をして生きているのだ。僕は雛菜を、彼女をそう定義した。そして彼女が雛菜を理解する重要な手がかりになるかもしれない。そう思って試しに脳内の記憶を雛菜で再生してみる、違和感がない。僕の脳内に彼女=雛菜、の等式が出来上がる。彼女は雛菜であり、雛菜は彼女である。雛菜を彼女だと思うことにより今まで理解できなかった雛菜の言動が更に理解出来てくる。彼女と彼女にまつわる記憶のおかげで雛菜に対する解釈と市川雛菜という存在に対する理解が深まったのだ。

幻覚を見る

 

しかしここで思わぬ事態が起こる。記憶を雛菜で再生したことにより、記憶自体が曖昧であることも相まって幻覚が見え始める。市川雛菜が同級生で、隣の席にいた、という幻覚が。

無論ただのオタクの妄想であり幻覚である。そんな事実はない。彼女が市川雛菜に似た言動をした。ただそれだけだ。記憶の歪曲と美化でしかない。しかし、しかしだ、それでもあの日、あの教室、あの風が吹いた瞬間、彼女は間違いなく市川雛菜であったのである。そう信じてしまうのだ。

幻覚だとわかってはいる。だが自身のクソみたいな高校生活におけるひとつの思い出であり、市川雛菜というキャラクターを僕が理解する上での重要な要素であるため、思い出すたびにどうしても雛菜で脳内再生されてしまうのである。そして何より、彼女=雛菜、という等式を打ち立てたため、彼女のことを思い出してる間にも雛菜の影がちらつくようになったのだ。逆に言えば雛菜のことを考えていても彼女のことが脳裏にちらつくのである。

ここまでくると強めの幻覚を通り越し、もはや彼女が市川雛菜であったことが真実であったような気がしてくるのだ。幻覚に思い出が侵食されてまるで雛菜が僕のクラスに居たような錯覚を覚えてしまう。ただでさえ殆どの高校の記憶を忘却の彼方に置いてきたわけで、記憶に残ってる思い出、更には彼女に関する数個の思い出がどんどん雛菜との思い出に置き換わってしまう。何が何だかよくわからないが、本当に雛菜が同級生で、大学なんてどこでもいいよ、と僕に言い放ち、スカート丈が短いと担任にキレられ、ネイルが担任にバレて呼び出しをくらい、英語の補修もどきを同じ教室で受け、授業中に鬼滅の話をしていたような、そんな気がしてくるのだ。つまり存在しない記憶の発生である。

無論そんな記憶は幻覚である。当たり前である。ただの僕の気持ち悪い妄想であり妄言である。だが彼女は間違いなく市川雛菜のような一面を持っていたし、繰り返すようだがことあの瞬間においては、市川雛菜そのものと言ってもいいような存在だった。そして僕はそこに市川雛菜を見出した。それだけは紛れもない事実なのである。

そんな自身の高校生活のひとつの思い出と、それに関連する大学生になった僕のどうでもいい妄想の話である。

 

つまり何が言いたいかっていうと、市川雛菜の幻覚を見たことと、オタクにやさしいギャルは存在するってことです。

 

以上!!!!!!!!!!!!!!!!!

*1:共通コミュ Bitter×coffee より

*2:共通コミュ (unknown) より